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遠くの親戚より近くの他人か、血は水よりも濃いのか

距離と家族は私の大テーマなので今日もこれについて考えてみたいと思う。

タイトルに答えはない。それが答え。もう家族というものが型化が難しいところまできているので一様には語れないのだ。ただ、ひとつ言える新しい観点として

・近くの親戚はどうなのか

・水は本当に薄いのか

というところ。これは少し逆説的なのだけど、近いと優しくなれません。近いと問題が起きます。血は濃い。だからこそ離れていないとその濃さにやられることがある。それは2016年摘発の殺人事件の55%が親族間である事の答えだと思っている。

遠いから優しくできる。他人だか優しくできる。それは事実だと思う。

私が思うに、自立後の距離は大切で(だから高校卒業したら家が近くても独立して暮らした方がいいと思う)、それによって保たれる尊厳やプライバシー、暮らす大変さからくる感謝があるはずだ。私の好きな本で、内田樹さんの「困難な結婚」という本があるのですが、

困難な結婚

困難な結婚

 

この中にこんな一文があります。(p132)

家族って本当に暫定的な制度なんです。それが「ふつう」は恒久的なものであるかのように「家族の一体感」とか言う人を僕は信用しません。だいたい、家族がほんとうに仲が良くて、敬意を以って接していたら、そういう家族はお互いに過剰に干渉しないで、必要なときだけ支援し合うという涼しい風通しのいい関係になっているはずです。(中略)

僕は家族の親密さを誇示するための行事をしょっちゅうやるような家族の一員であるよりは、ふだんは「好きにしなさい」と放っておいてくれて、遊びに行くと「よく来たね」とにこにこ歓待してくれるような距離感のある家族のメンバーでいたいですね。

 じゃあやっぱり近くは他人が最高なのかって言う話かというと、ちょっとそれは行き過ぎて、上の文でいう「必要なときだけ支援し合う」という、最後の砦が家族なのかなと。これは血が濃いからなせる技なのだと思う。

つまり、他人と家族は役割はそれはもう端と端くらい違う。だから比べること自体もナンセンスなような気がするのですが、普段は全く連絡取らない人から「助けてほしい」と言われたらなかなかすぐに首を縦に振れないけれど、家族だったら多くの人は、例え久しぶりの連絡だとしても力になろうと思う人が多いのではないか。

 

超漠然としているけれど、私はこの家族の距離をプロダクト化したい。最後に救うその瞬間を支えるものが作れれば。まだまだ先は長いけれど。