緻密に計算された購買ーNewsPicksアカデミア
NewsPicksは主に経済ニュースに特化した共有型のサービスで、有料課金によって1冊本+有料記事見放題+ アカデミアと呼ばれる講演やセミナーに参加できるチケット1回分がついてくる。これで5000円。私が課金しているものの中では高い部類に入るが、価値としては十分だと思う。(ただ、アカデミアは希望の講義がすぐに埋まってしまうので行けていない・・・)
9月に送られてきた本はこれ。
モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書 (NewsPicks Book)
- 作者: 尾原和啓
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2017/09/27
- メディア: Kindle版
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さらっと読めて面白かったです。基本的には欲しい本は新品で買い、良かったものはどんどん書き込んで折って自分のものにする。そうじゃないものは綺麗なままメルカリへ。
この中でストレングスファインダーの話が出てくるのですが、これが気になっていた。本を読み終えて色々と思うことはありつつもそのまま数日経って・・
NewsPicksアカデミアのチケットがもう2枚行けずにたまっている。そう思う頃に新しい講演の案内メールが。早速見てみるとそこにストレングスファインダーの講座が出てくる。まあクリックします。実践でストレングスファインダーやらせてくれるらしい。自分で本を買ってやるというのも選択肢だが、「たまたま見つけた偶然」な気持ちになってしまって申し込み。しかしこの講座、通常のチケットではいけない。プラス3000円必要だと。でも、結局手続きを進めてしまう。
この時、これはきっと計算された道筋だったのだろうなと思った。それに乗っかるのも悪い気がしない。そこに私は「偶然」だと思い込む力が働いていると思っている。地元の友達と会社の同僚が知り合いだったことが判明するとそれはすごい偶然だ、と思うが、facebookを見てみると友達の友達に一人二人は知り合いはいるものだ。六次の隔たりという仮説もある。でもその当たり前の偶然に心を動かされるのは事実なのだ。
プロダクトを、サービスを提供する時にこの偶然の計算というのがマネタイズの要素になってくる。なかなか簡単にはできないが、スタートアップはホテルのような完璧で丁寧なサービスはできないが、驚きとワクワクと与えてファンを増やすのかな。
家族と進化論
同棲をしたり結婚をして一緒に住み始めたり、相手の家族や自分の家族と同居することになったりした場合、その家の文化や常識が全く同じだった、ということはほぼないだろう。バスタオルは毎日帰るのか、トイレのふたは締めるのか、外食の回数、ご飯に対する考え方、ものを贈り合うのかなど細かいことを言い出すとキリがないほど。
文化の違いが融合できると、もしくは新しく作れるとその共同体はうまくいくが、そうならなければ緩やかに(もしくは激しく)消えゆくことになる。ダーウィンは進化論で
最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一生き残ることが出来るのは、
変化できる者である。
と言っている。生物と家族は少し似ていると思っている。変化に対応できないと、その家族は壊れてしまう。琴線に触れる部分を共有できないと共存して生きていけない。こだわりを変えていけるのは生き残るためには有用だ。(こだわりがないことは似ているが、これは別の意味で生き残れない)
たまたま近い文化の家族が一緒になれることと、そうでないことがある。
個人的に幸せな順で考えると、
1.異なる文化×変化に対応できる
2.似ている文化×変化に対応できる
3.似ている文化×変化に対応できない
4.異なる文化×変化に対応できない
だろう。あくまで個人の主張であるが、1が2より上なのは広がりの可能性があるからだ。
家の文化というのは生まれて一番初めに、そして長きにわたり醸成され身に染みについたものである。だからこそ、個人は「変化に対応できる」という能力を身につけなければならない。家族の話に限らないかもしれないが・・・
家族と距離
昔に比べて核家族化が進み、大人数所帯は減った。祖父母の頃の話を聞くと、子供が多いので場合によっては伯父伯母と年が近いことがあるらしい。今だとあまり考えられないけれど。兎にも角にも人数が多かった。家族、親戚一同の。今は、だいたい4人が提携サイズ。
家族も一集団の組織と見たときに、管理しやすさは圧倒的に現在であるような気がするけれど、家の数で考えるとそうなるのだが、一緒にいるかいないかというのも大きい。つまり「距離」という因子が加わった。
極端な話かもしれないが、源頼朝と義経は兄弟(母親は違うが)は大人になって戦場で会う、ということをしている。離れていると兄弟という意識が希薄になる、というのは恐らくあっている。「遠くの親戚より近くの他人」ということわざがあるのだから。
この「距離」は曲者だ。しかし技術の発達や人間の心理変化によって、この「距離」を超えられる時代になってきているような気もする。私はこの「距離」を超えたいのだけど、どこに課題を設定していいのか迷い中・・・
家族とIT
高齢には難しいと思われていた家族コミュニケーションにおけるITは作り手の思い込みなのではないかと思う。
結局やるかやらないかは能動的に動く「理由」だ。最低限が概ね満たされている日本において、機能を増やすことより削ることの方が作り手として勇気がいるのだろうけれど、それができたものはやはりちゃんとアクティブになっている。
私も自分の両親たちはスマホは買わない。なのでLINEは使えない。グループLINEがあれば便利だと思っていたが、無理だろう。そう思ってキャリアメールはずっと残しておいた。「買おう」と伝えることもなかった。
しかし、結果的に両親は勝手にそれぞれの事情で手に入れ付加機能(スタンプや絵文字)を使いこなし、写真を送ってくるようになった。(しかしまだインターネット上でクレジットカードを登録することは抵抗があるし、面倒らしい。なぜなら店で購買するという消費行動が時間的にも可能でコミュニケーション欲求的にも満足度が高いので能動的にそこに費やす理由がないのだ)
離れて暮らすことが当たり前になった現代において、ITは欠かせない。しかし、家族をターゲットとしたプロダクト開発は難しい。
プロダクト考える時にセグメントでユーザを分け、ターゲットを決めることが多いと思う。その時によく用いられる要素として年代や性別、在住地などがあり、確かにこれらは行動に影響を大きく及ぼす。しかし、家族をターゲットとした時というのは年代も性別も住んでいる場所も、全部ひっくるめて考えなければならない。だから難しいと思う。
しかし、家族は成長するのだ。家族のために。そのポテンシャルをどう予想するのか、がポイントな気がする。これはまた別の投稿で書こうと思うが、家族の歴史はとても面白い。それを受けて、近々未来の家族図を予想したみたいと思う。
家族とロープ
家族というのはどこかアンタッチャブルな感じがするものだ。そしてどこか絶対感というものがある。これは血縁に限ることではなく、その形態が作る強さのようなもの。
一本の透明のロープが枝葉に分かれ、その枝葉は誰か別の家族(親類)が持っている状態となる。そのロープを誰かが引っ張るとその振動が響く。生まれた時はそんなこと知らないけれどいつの間にか持っているロープは手にしっかり巻きついている。そういう仕組みだ。後から入ってきても同じだ。ロープを渡されて持った手からは離れない。
生きている間、ロープは手放すことが基本的にはできない。手放したとて持っている感覚までは手放せない。そういう絶対感。不思議な共同体。それに、私はすごく興味を持っている。
記憶に残るいい仕事は紙一重
スタートアップは常に余裕がない。人も足りないしお金もないから知恵をしぼるという方向になると思っている。
潤沢なアセットのないスタートアップが顧客にとって記憶に残るようないい仕事をするとき、それは少し賭けに近いような気がする。答えの見えたものに対して粛々とやるのではなく、答えを探しながら仕事をなしていくと思うからだ。
もしかしたら最高の体験を得られるかもしれない。でももしかしたらただお金を無駄にするだけかもしれない。
スタートアップは常に矛盾に生きている。新しいことをやるというのは、答えを作るということだから、成功なんてそれは約束できない。でも、「できません」とは言わない。やれると信じている人たちだから。(であって欲しいと私は思っている)ただいつだって失敗と隣り合わせにいる。失敗は顧客にとって信頼を失うことに近い。
できるとといえば、人もお金も答えもない中で知恵を絞り、周囲に協力を仰ぎ、持ちうるもの総動員してプロダクトなり、価値なりを作っていくこと。なんでこんなに大変なのに手を出してしまうのだろうなあ。その気持ちは言葉ではなんとも説明しがたい部分を持っているような気がする。
スタートアップが応援者を見つけるとき、無くすとき
ついこの間のこと。私はとある人探しのためにwantedlyを登録した。もともとfacebookを連携するのがあまり気が進まなかったので手をつけていなかったのだけど、無事にその人も見つけられたし、実際に会うこともできた。目的も終わったし、登録を削除しようかと思っていたら、スカウトメールが1件届いた。IoT系のスタートアップだった。ちょっと気になっていたのでクリップしておいたのを忘れていた会社だ。開いてみると代表の方からのメッセージだった。恐らくwantedlyではよくある話で要は「気軽に一度お話ししましょう」ということでした。
私は自分の今の現状や自身もサービスを世の中に出すために動いていることを書いた返信を書いた。しかし、それ以降その会社から返信が来ることはなかった。(私も貴重なスタートアップのお時間をいただくのは申し訳ない、って確かに本文に書いたし)
私は目的は人探しだったのでスカウトメールは受け取らない、としていたので他の会社はわからないが、もしかしたらこれは当たり前なのかもしれない。相手に期待しすぎているんだなと思った。社会を何かしらで変えていきたいという共通点があると思っていたけれど、そんなことはなかった。でも、ちょっとがっかりしている自分がいた。その会社のことは気になっていたが、普通よりも気持ちが下がってしまった。その商品を見つけたらこの件が浮かぶだろう。何かしらで繋がった人に印象を落とすような形は戦略的にももったいない。
スタートアップってもちろん法人なんだけど、人が少なくて発信度合いが高いから、なんとなく人っぽさを強く感じるのだよな。
なんだかなとちょっと思ったけれど、まあ、いざこれは、という出会いのためにあったということにしておこう。
しばらく仲間探し続けていこうと思います。私は、プロダクトを中心に放射状に広がっていく世界を、信頼関係から始めたい。仲間とも、ユーザとも、支援者とも。